不登校の原因は「学校そのもの」
不登校の原因は「学校」そのものにあります。
詳しくは「学校はオワコン」(すいません準備中です。)を見てください。
もちろんすべての責任が学校にあるわけではありません。
不登校になってしまう要因は複合的ですからね。
ですが、子どもや親の側だけに原因があるのではない、ということは明確です。
このサイトが掲げている
「不登校の原因は心のエネルギー不足」の立場から言えば、
「学校が心のエネルギーを奪っている」ということになります。
では、そのような学校から我が子を守る方法とは何でしょう。
「学校を上手にサボる」
ことなのです。
この記事を読んでほしい人はこんな人
- お子さんが学校に行くことを嫌がっている人
- お子さんが不登校傾向で悩んでいる人
- 今の学校のシステムに不安を抱えている人
- お子さんが不登校から立ち直ったけど、また行かなくなってしまいそうで不安な方
この記事を読むと次のことがわかります。
- 学校で行われている「不必要なもの、こと」とは
- 「上手にサボる」その方法とは
- 先生に気に入られる必要はない、ということ
- 宿題は生成AIをフル活用しよう
- 遅刻、早退は気にしなくて大丈夫
- 「いいわけ」はやめよう
- 「いいわけ」をしないためには
- サボり方の実践例
学校を「上手にサボって」良い理由
先日発表された2023年度の中学校の不登校の数はなんと約21万人でした。小学校も含めると34万人です
中学生全体の数が約317万8000人ですから、
割合的には16人に1人、クラスに2人はいる計算です。
これは無視できない数です。
もし、会社に16人に一人の割合で出社拒否をしている従業員がいたら会社は潰れてしまいますね。
学校は会社ではないので潰れませんが、16人に1人という数字は明らかに「学校」という場所が否定され始めている証拠ですね。
「学校」というシステムが成り立たなくなってきてるのです。
「不登校」という名称は「登校」という言葉を使ってつくられています。
「登校することが当然」という前提に立っているわけです。
ですが、正確には次のように理解しなければなりません。
- 学習拒否、「不学習」ではない
- 活動拒否 「不活動」ではない
- 集団を拒否ではない、大きすぎる集団は苦手、「学校の理論」で集まる集団は苦手といっているだけ
「学校という場所」「学校というシステム」が苦手なだけです。
不登校とは
「学校ではない別の学習環境を求めている現象」
ということができるのです。
そういう生徒が増えてきています。
これはフリースクールが増加していることからも明らかです。
では、そのように「成り下がってしまった学校」は変化の必要はないのでしょうか。
答えは「変化の必要は十分にありますが、変化できない。」です。
これは法的拘束力を持つ学習指導要領のせいです。
学習指導要領は改定はされますが基本的に10年単位で、つぎの学習指導要領の全面実施は小学校で2030年といわれています。
しかもこの指導要領改定に関わっているのは基本的に教育関係者です。
当然ですが、現状に強力に反対を唱える人が指導要領改定の関係者にはなりません。
それでも、「急速に変化する時代に対応するため」という耳障りの良い言葉が必ず入り、「新しいこと」に取り組むよう変化していきます。
「指導要領改定のたびに、逆にやることが増えていくだけ」ですね。
かといってこの記事でそのシステムに反対し、政治的な運動を起こすような教育改革を叫ぶつもりはありません。
今、目の前にいる我が子たちには全く効果がないからです。
ではどうしたら良いのでしょう。
「今の学校は、毎日、真面目に行く意味など、無い」と認識するのです。
これが学校をサボっても良い理由です。
もと中学校教員が教える「上手な学校のサボり方」とは
学校にまったく行かなくなれば「不登校」と言われます。
「自分に必要ではないところ」をきちんと判断して上手にサボるようにしましょう。
学校の内容で「今、自分に必要ではないところ」
- 難しすぎるものに時間をかけること
- 数学、国語を始め、どんな教科でも「理解できない」ものはあります。当然理解しようとする姿勢は大事です。しかし、子どもひとりでやり続けないようにしましょう。
- 子ども一人ではやらずに、親が教えたり、家庭教師をつけましょう。
- 進路に関係ないと思えるもの
- 受験科目に直接必要ではないもの、やっても意味を感じない科目、などは力を入れないようにしましょう。
- 全部わかるようになろう、人より上手にしようなどと思う必要はありません。上手に流しながら学習に参加しましょう。ときには上手にサボるようにしましょう。
- 体力的に厳しすぎるもの
- 体力の個人差は明確です。子どもの体力の範囲内で、自分の運動技能がついていける範囲内でやりましょう。ときには休んでサボるようにしましょう。
- 部活動も同じように考えてください。部活動は自由参加になりつつあります。入りたくないものには入らないようにしましょう。
- 参加することに意義を感じないもの
- 生徒会行事、部活動、ボランティア活動です。
- 当然それぞれ意義があり、尊いものです。しかし、強制参加を求められると、とたんに辛くなります。できるだけ参加しないようにして、参加しても「流しながら」参加しましょう。
「上手なサボり方」の実例
サイト管理者の中学生の娘が目撃した風景です。
朝読書の時間、ふと横を見ると、英語の準2級を受験する友達が、テキストに別の本のカバーを掛けて「読書のフリ」をしていました。
同じく高校生の息子のところです。
成績の良い生徒は座席が後ろになるそうです。
すると受験科目に関係ない教科の授業では「内職」し放題になるそうです。
2つの事例で大事なことは、「上手にやっている」ことです。
おそらく、2例とも先生にはバレバレですね。
先生も「上手にやれよ」と考えていますよね。
実際にサイト管理者の家庭は夫婦とも教員ですが「うまくやればいいのに」という話をしています。
そして更に大切なことは
本人が「今、自分に必要なこと」を理解してやっている
ということです。
「信念を持ってサボって」いるのです。
「先生に気に入られること」をしなくてもいい
小学生のうちは先生に気に入られたいものです。
しかし、中学生は少し違ってきます。
先生から独立する時期です。
先生から気に入られなくても「罪悪感」を持つ必要はありません。
授業で必要以上に発言をしようとする努力をする必要はありませんし、役員や仕事を引き受ける必要もありません。
係の仕事もテキトーにしましょう。
それでいいのです。
人として先生を裏切るような真似をしてはいけませんね。
気に入られる必要はないけど、睨まれる必要はもっともないからですね。
「評価」を気にせず AIを積極的に使う
読書感想文、作文、ポスター、自由研究などは「評価」を気にせず、遊び気分・趣味気分でやるようにしましょう。
遊び気分、趣味気分でやることにあたってのオススメは生成AIの活用です。
「生成AIで読書感想文」はホントに「ダメ」? 専門家が考える「これからの共存法」とは
という記事では
青少年読書感想文全国コンクールを主催する全国学校図書館協議会の設楽敬一理事長は、「生成AIの使用を全面的に禁止しているわけではない」と言う。
ということだそうです。
学校の先生の中にはAI使用を親の敵のようにいう先生もいますが、そういう先生は「現代に必要な力」をわかっていません。
また、AIの使い方そのものをまったく理解していない人です。
生成AIを使いこなすにはプロンプト、と呼ばれる適切な命令文を打ち込む必要があります。
例えば「走れメロス」の読書感想文をAIに書かせるとします。
すると次のようなプロンプトになります。
夏休みの読書感想文はAIにおまかせ?ChatGPTの作文能力を確かめてみた より
1.書籍のタイトルと著者名を明記する
「太宰治の『走れメロス』の読書感想文を書いてください」
2.感想文に含めたい要素を指定する
「特に作品のテーマ、キャラクター、ストーリープロットについて触れてください」
3.感想文の長さを指定する
「500文字程度で書いて下さい」
4.特に強調して欲しい点を指定する
「特に主人公の心情について詳しく説明してください」
5.個人的な意見や感情を含めてほしいかどうか
「受けた影響や、個人的な感想や意見も交えて下さい」
6.文体や書き手の特徴をしていする
「中学生レベルの文章力で書いて下さい」
これでかなりレベルの高い感想文を書かせることができます。
しかし、この場合は「走れメロス」のストーリーをAIが知っていることが前提になっています。AI自体がすでに「走れメロス」を知っているのです。
毎年変わる課題図書はどうでしょう。
あらすじはアマゾンのページあたりから拾ってくるでしょうが、詳しい内容はAIにはわかりません。
したがって「作品のテーマ、キャラクター、ストーリープロットについて触れてください」
と命令をかけても、AIは正確な反応を返すことができません。
ですから課題図書の読書感想文を書かせようとしたら、本のストーリーや強調して書いてほしい「内容」を自分で考えて、それを箇条書きにしたり、文章にしたりしてAIに提示する必要があるのです。
結局本を読む必要があるわけです。
そして自分で上記のような「プロンプト」を考える必要があります。
また、書かせた文章についても手直しが必要です。
これは「文章を書く力」が十分についてないとできません。
文章の書き方がわかっている人、たくさん文章を読んだことがある人だから、文章を手直しできるわけです。
つまり、AIで上手に文章を作るには十分な国語力が必要なのです。
それも含めて「AIを積極的につかいましょう」とここでは勧めているのです。
やってみるとわかりますが、生成AIを適切に使うハードルは意外に高いのです。
それでも、生成AIは優秀な相談役です。
しかもいくら相談しても文句をいいません。
そして基本的な機能だけなら無料です!
そして、生成AIを使うスキルははこれからの時代に必須のスキルです。
「遊び気分、趣味気分」で楽しみながら身につけることを強くおすすめします。
学校の進級は1/4休んでも大丈夫
正しく言えば、1/3までなら大丈夫です。
ただ、本当に1/3休んだら、進級判定会議にかけられてしまうので、ここでは1/4としています。
スポーツで世界選手権に出ているような中学生はもっと休んでいるかもしれません。
世の中には皆勤賞という制度があります。
日本ではこの皆勤賞という制度が重要視される傾向があります。
プロ野球などでは鉄人と呼ばれ「連続出場記録1400試合!」などと称賛されますが、中学校の生徒にとっての皆勤賞は本当に必要なものでしょうか。
学校という「世界」に縛られ、学校に毎日来た、ということに価値を見出すことはもはや意味はない、のではないでしょうか。
中学校という貴重な時代に、学校があるから、という理由で本当に行きたいところに行けないのは、ただの「機会損失」です。
もっと行くべきところはたくさんあるのではないでしょうか。
テーマパークかもしれません
映画館かもしれません。
「推し」のコンサートかもしれません。
プログラミング教室、美術館、博物館などに行きたい、となればもっといいのかもしれません。
とにかく、「学校を休んではいけない」などということは前時代的、といえます。
事実、学校側も、生徒が少しくらい休んだからといってさほど気に留めることはありません。
それでも「欠席」となってしまうことに抵抗がある方は、朝顔を出して1時間目から休むということも場合によっては可能です。
サイト管理者の家でも何回かそれをお願いして「出席」で通っています。
「欠席しても大丈夫」という気持ちはどこかに持っておいたほうがいいと思います。
授業日数は200日程度ですから1/4は50日です。
生徒の「有給休暇」は50日もあるのです。
遅刻、早退も大丈夫
遅刻や早退も大丈夫です。
極端に言えば、いくら遅刻・早退をくりかえしてもほぼ問題はありません。
ただし、原因が、ただの寝坊、健康管理不足、などではだめです。
「朝起きられなくて」というのはどうしても印象が悪くなってしまうからです。
「いくら遅刻・早退しても大丈夫という感覚」が大切だ、と言っているだけです。
不登校傾向の方の中には起立性調節障害をもっている人がいます。
そのような人も堂々と遅刻しましょう。自分ではなんともできないのですから。
同じく早退も大丈夫です。
6時間目に出たくない授業があったら5回に一回くらい出ないように早退する、くらいの図太さでいいと思います。
部活動をしなくても大丈夫
入りたくなければ、入らないようにしましょう。
すでに「全員加入制」の学校はほぼなくなっていると思います。
全員加入制であっても無理をして入る必要は全然ありません。
部活動は中学校の先生にとっても「諸悪の根源」と言っても差し支えありません。
これさえなくなれば、不登校だって激減すること請け合いです。
誤解しないでいただきたいのは「バスケットやサッカーなどのスポーツや吹奏楽などの文化活動そのものに問題がある」と言っているわけではありません。
「教師が部活動に関する業務を行うこと」が諸悪の根源なのです。
主顧問になると、部活動に当てる時間は精神的にも肉体的にも「教員人生の半分以上ある」といっても過言ではありません。
中学校の先生は、本来の業務ではないものに、半分以上の時間と手間をかけているわけですね。
部活動がなくなれば、不登校になりそうな生徒、学業不振の生徒に対して、適切に対応できる時間が格段に増える、ということだね。
教員側から見た話になってしまいましたが、生徒側から見ても同じです。
中学校時代の半分以上が部活動だった、という人は世の中に大勢いるはずです。
本当にそれでよいのでしょうか。
例えばその時間を使ってプログラミングの勉強に当てたらどうなるでしょうか。
マネーリテラシーの勉強をしたらどうなるでしょうか。
第二第三のソフトバンクの孫社長、楽天の三木谷社長、リベシティの学長が出てくる可能性はぐっと高くなると思うのです。
生徒会役員はしない 行事の実行委員はしない
生徒会活動、行事の実行委員もする必要はありません。
余計な時間を取られるだけです。
そして、自分に負担がかかるだけです。
もちろん、興味があり、積極的にやりたい人はどんどんやってください。
生徒会や行事は大変意味のあることですから。
その中で自分を表現できる人はたくさんいますし、民主主義の勉強をするには大切な活動です。
ここで言っているのは「生徒会が自分の重荷になる人はやるな」そして、「やらないことに負い目を感じる必要はない」ということです。
「教育課程」の半分は必要がない
学校で教えている内容のことを「教育課程」といいます。
これは学習指導要領で定められている内容を履修するための時間割のようなものです。
教員はこの学習指導要領に沿って教えることが義務化されており、従わなければ法的措置が課せられます。
しかし、生徒の方には受けなくてもそのような罰則はありません。
あるとすれば「留年」くらいでしょうか。
しかし、サイト管理者が中学校教員生活30年で留年した中学生など一度も見たことがありません。また、聞いたこともありません。
ところで、中学校というところは本当に忙しいところで、
笑い話のようですが
「授業をしている場合ではない」
ということが本当にあります。
行事と中体連、先生方の研修会などが重なっている週は
「授業がきちんとできている日が1日もない」
ということが珍しくありません。
それくらい授業がカットされます。それでもその週は「正式な教育課程」です。
そのような学校に行く意味があるのでしょうか。
「学校は教科の学習だけをしに行くところではない。」
と耳障りの良い言葉をよく聞きます。
サイト管理者もそう思って、行事や部活動に真剣に取り組みました。
部活動で全国大会に行った経験もあります。
たしかに全国大会に行った生徒にとっては意味のあることだったでしょう。
しかし、行けなかった生徒、その生徒の練習に付き合った生徒にそれだけの意味があったでしょうか。
残念ながら今のサイト管理者には自信を持って「意味があった」とはどうしても言えないのです。
部活動や行事、強制ボランテイアなどに費やした膨大な時間を
ITスキル
マネーリテラシー
世の中の仕組み
などを学習する時間にまわしていたら、生徒にとって本当に「意味のある学習」になっていた、と今は強く思うのです。
いいわけを並べる人が嫌われる
サボるべき時間や理由について述べてきましたが、
「休むときは何ていうの」
「テーマパークに行くから休むってアリなの」
「先生に睨まれないの」
と心配する人がたくさんいると思います。大丈夫です。
教員から最も嫌がられるタイプは
「いいわけをたくさんする生徒・家庭」なのです
ただの朝寝坊なのに、体調が悪かった、などといいわけをする生徒、そして、それを擁護する保護者が最も嫌われます。
テーマパークに行くにしても「親戚のうちに行くのでそのついでに」などと苦しいいいわけをする家庭もあります。
それよりは「今回は楽しんできます」とサバサバと欠席してもらった方がよっぽど印象は良くなります。
テーマパークに出かけますと言わなくても「家庭の都合で欠席です」と一言いってもらえばそれで OK です。
いいわけは罪悪感からくる
いいわけをする人は「罪悪感」があるからです。
ここでもう一度断言します。
学校を休むこと、サボることは悪ではありません。
ですから罪悪感を持つ必要はまったくありません。
ただし、条件があります。
「きちんとした目的のためにサボる」
ことです。
テーマパークに行くのだって、推しのコンサートに行くことも「目的」ですよね。
先生も友達も「行くの? いいなー うらやましい!」と言える時代になってきましたね。
実際、サイト管理者の娘の周囲にも「テーマパークに行くので金曜日休み」という友達がいます。
その生徒は明るく、元気に「行ってくる」と宣言し、お土産を友達に配ることも忘れません。
不登校になる生徒に多い特徴の一つに「まじめ」というのがあります。
先生の言う事をすべて聞き入れて、良い子でいることを自分に課してしまうタイプです。
しかし
- 一日6時間の授業、夕方6時30分まで部活動
- 文化祭の実行委員、生徒会の委員長
- やりたくもないボランティア活動
- 土日も部活動
- 夏休みですら、読書感想文やポスター作成、自由研究と教科以外の宿題が目白押し
私達大人は耐えられますか?
精神的にどうにかなってしまわないほうが不思議です。
すでに現在は、それを課している教師のほうが学校という現場に耐えられず、精神的に参ってしまい休職に追い込まれているという現実があります。
やらされている生徒、やらせている教師ともども悲鳴を上げているのです。
そんなものは実行する必要はありません。
学校をサボることに罪悪感はいらないのです。
堂々とサボりましょう。
実践例
ここまで、休め、サボれ、と述べてきましたが、実際行動に移すときに年間50日休む、というのはさすがに気が引けます。
実践例を挙げましょう
- 休日は月1日〜2日、例えば2週間に一回水曜日を休みにする。
- ひと月に一回くらい、出たくない授業のときに早退する。
- 部活動には入らず、遅くても4時30分には学校を出る。
- 生徒会の役員や行事の実行委員にはならない。
たったこれだけで十分なゆとりが生まれます。
そして皆勤賞という前時代的な価値観からも解放されます。
将来仕事についても「辛くなったら休む」ということが気兼ねなくできるようになります。
有給休暇も堂々と取れる人間になるでしょう。
保護者は「責任」と「覚悟」を持って
この実践には重要な条件があります。
前述しましたが「目的を持ってサボる」ことです。
そのためには保護者が責任と覚悟を持たなければなりません。
とくに「学校を休んで何をするか」というところが大事です。
スポーツ、ITスキル、マネーリテラシー、推し活、なんでも構いません。
子どもが罪悪感を感じずに休める「確固たる何か」が必要なのです。
それを提案し続けるのが保護者の重大な役目です。
この記事では「子どもが休みたいときに休ませろ」という気はありません。
「学校以外に大切なものがある。それを見つけてほしい」と言っているのです。
学校に行きたくないから休む、だけではただの甘やかしですからね。
不登校を防止する秘訣の一つは「学校外に自分軸を持つ」こと
サイト管理者の2人の子どもも不登校の経験を持っています。
なんとか立ち直ることができましたが、そのとき大きな役割を持っていたものの一つが
「学校以外の場所での活動」です。
長男はスポーツ、長女はダンスでした。
いずれも学校外の団体に所属しており、学校の先生や友達との関係がどうなろうが全く影響を受けませんでした。
彼らにとってさらに良かったのは、学校の活動よりスポーツ・ダンスのほうが重要度が上だったことです。
ですから学校に行けない期間も決定的な打撃ではありませんでした。
部活動を含め「学校にすべて預けている」という状態はたいへん危ない状態です。
子どもの世界が「学校」という場所に限られてしまうと、「学校」に行くことができなくなった場合、その子どもにとっては「大きな世界がなくなること」と同じことになってしまうからです。
残された「小さな世界」は家だけになるのです。
ですから、できるだけ早いうちから学校の外で「自分軸」となる活動を見つけてあげることが非常に重要です。
繰り返しになりますが、テーマパーク、コンサート、推し活、スポーツ、何でも大丈夫です。
これを一般的には「趣味」と呼びます。
社会人でも趣味を持つことの重要性がよく言われます。
なんなら、趣味の方に重きをおいて、その合間に仕事をしているような人のほうが生き生きとしているはずです。
保護者は「子どもが本当に目を輝かせて取り組むもの」を見つける手伝いをしたいものですね。
まとめ
- 「学校」という場所は心のエネルギーを奪うところでもある。
- 学校というシステムが原因で不登校になることがある。
- 教育課程の半分は「子どもに必要」とは言えない。
- 学校から子どもを守るには「上手にサボること」が大事。
- 上手にサボるためには「いいわけ」をしない。
- いいわけをしないためには「学校の外に自分軸」を見つける。
- 「休みたいから休む」ではただの甘やかし。