「お金の大学」で有名な「学長」のYouTubeで「原因自分論で考える【人生論】」という動画があります。
ビジネスでの考えですが、不登校の子どもさんを持っている保護者の方にとっても重要な考え方です。
それは「不登校は親の責任」という言葉についての考え方です。
この言葉を発して、炎上したどこかの市長がいましたが、
断言します。不登校は親の責任ではありません。
未成年を保護せず、教育を受けさせる義務を怠っている親はごく稀にいます。 しかし、そのような親の子どもがすべて不登校になるかといえばそうでもありません。
そうかと思えば、我が子のために頑張っている親ほど、子どもが不登校になり、それを親の責任と思い込み、悩み、動きがとれなくなっている人もいます。
今回はそのような「不登校は親の責任」と悩んでいる親の方に「正しい原因自分論」を理解してもらい、今後の行動の指針としていただければ、と思います。
どうか最後までお読みください。
この記事を読んでわかること。
- 不登校は親の責任ではない。その理由。
- 原因他人論とは
- 原因自分論とは。
- 原因自分論を使うと、どんないいことが起きるか。
- 間違った原因自分論とは。その弊害は
- 正しい原因自分論を用いる方法
「不登校が親の責任ではない」と断言できるのはなぜか
このサイトでは、不登校の原因は「心のエネルギー不足」と、とらえています。
(「中学生が不登校になる原因と不登校のきっかけ8つについて 徹底解説」を参照してください。)
心のエネルギーとは、日常よく使われる言葉で置き換えれば「元気、やる気、根気」です。
「元気、やる気、根気」が不足すれば誰でも不登校になる可能性があります。
大人でさえも会社に行けなくなるのです。
ですから、子どもには常に心のエネルギーを補充してあげることが必要なのです。
しかし中には
「心のエネルギーを補充することができない親」もいます。
では、その親に責任はないのでしょうか。
ありません。
なぜなら、心のエネルギーを補充できない親は自分の心のエネルギーも不足しているからです。
親の親(子どもから見れば祖父母)からエネルギーを貰えなかったり、これまでの人生の中でエネルギーを奪われてしまっているのです。
親は、好きこのんでエネルギー不足に陥っているのではありません。
だから責任はないのです。
不登校になる原因やきっかけは複合的です。
そもそも「学校」は多様化する現代社会に合わなくなってきています。
30人以上が一つの教室に詰め込まれて朝から晩まで何かをする、という状態が義務教育では9年間も続くのです。
大人は「自分もやってきたから当たり前」と思うかもしれませんが、現代の情報化社会に生きる子どもたちは「当たり前」と思うでしょうか。
疑問を持って当然ではないでしょうか。
不登校の子どもたちは「疑問を持ち始めて学校を否定している人たち」と言い換えることもできるね。
原因自分論とは
「原因自分論」とはあまり聞いたことがない言葉かもしれませんが
「すべての物事が起こった原因は自分にある、と考えること。」です。
「じゃあ、やっぱり不登校の原因は親だということじゃないか」と言いたくなる方もいると思いますが、それは違います。
これを説明している動画で「学長」は自分の会社経営にたとえて次のように説明しています。
左が原因他人論、右が原因自分論です。
原因他人論 | 原因自分論 |
---|---|
社員のためにこれだけやっているのに 社員がミスをする | ミスをする仕組みを作ったのは自分 |
このスピードについて来れない社員が悪い | その社員を雇ったのは自分 |
辞めるのは根性がないからだ。 | 根性が必要な環境を作ったのは自分 |
取引先も理不尽なことを言ってくる | その会社と取引を始めたのは自分 |
つまり
- 原因他人論は「人を責める」
- 原因自分論は「人を責めない」
というスタンスです。
「誰かが」良いか悪いかではありません。
「原因は自分にあった」と「認識」をするだけですね。
「学長」はこれらの気付きから
- 社員を大切にする
- 良い仕組みの作り方
- 社員が気持ちよく働ける仕組み
を作り上げて社員満足度が非常に高い会社を作り上げたそうです。
もちろん売上も伸びました。
アドラー心理学では
「変えることができるのは自分だけ、他人を変えることはできない」
としています。
たとえ社員であっても他人を変えることは至難の業、ということですね。
たとえば、思うように成果が上がらない社員がいたとしても「問題を抱えている」のは社長である「自分」です。
そして、社長が思っているほど社員は問題とは思っていません。毎月給料をもらっているわけですから。
だから、問題を抱えている「社長が」なんとかするしかないのです。
そして「学長が」強調していっていることのもう一つは
「自分が我慢することでもない。」
ということです。たとえば
- ブラック企業に入ったのは自分が悪いから、我慢して耐えるべきだ。
- 夫からDVにあっている。自分が悪いから、自分が我慢すればよい
と考えるのは「間違った原因自分論」なのだそうです。
不登校の「原因他人論」
原因自分論と原因他人論を不登校の子どもさんを抱えている親に当てはめるとどうなるでしょうか。
原因他人論ではたとえば
- 配偶者が何もしない
- 義父母が過保護
- 先生が優秀でない
- 友達のいじめが原因
- 学校の部活動が厳しすぎる
- 学校の授業のスピードが速すぎる
となります。
主語が全部「自分」以外の他人だね。
「原因自分論」に変換すると
上記の他人論を自分論に変換すると次のようになります。
原因他人論 | 配偶者が何もしない |
原因自分論 | 自分は配偶者に「子どもと時間をとって一度じっくり話をしてほしい」と働きかけをしなかった。 |
原因他人論 | 義父母が過保護 |
原因自分論 | 自分の教育方針をきちんと祖父母にきちんと話しをしなかった。 |
自分論では、主語が「自分」だね。
原因他人論 | 先生が優秀でない |
原因自分論 | 優秀な先生など滅多に当たらない。 「優秀」は人によって評価が違う。 子どもの人生は先生に左右される必然性はない。 大事な点は、先生ではなく自分が子どもに伝えるべき。 そもそも学校にすべてを頼るのは間違いだった。 |
原因他人論 | いじめが原因 |
原因自分論 | 自分はいじめに気づくことができなかった。 いじめにあったら、親に伝えるように言わなかった。 様子がおかしいときに声をかけることを躊躇してしまった。 |
原因他人論 | 部活動が厳しすぎる |
原因自分論 | その部活動を選んだのは、子どもであり、自分もその部活動でよいと許可を出した。 |
原因他人論 | 授業のスピードが速すぎる |
原因自分論 | それを補うための家庭学習を身に付けさせることができなかった。 塾や家庭教師の対策を打たなかった。 なにより、子ども本人としっかり話をしてこなかった。 |
原因自分論に置き換えると「解決への行動」が見える
原因自分論をとると、今度は「解決への行動」が見えてきます。
次のようになります。
原因他人論 | 配偶者が何もしない |
原因自分論 | 自分は配偶者に「子どもと時間をとって一度じっくり話をしてほしい」と働きかけをしなかった。 |
解決への行動 | 配偶者にきちんと頼んでみよう。自分は困っていると。配偶者も仕事で忙しいことは理解しているが、それよりも今は子どものために行動を起こすときだ。 (「不登校かも その時親の対応は 慌てずに対応ためのポイント9つ」参照) |
原因他人論で「配偶者が何もしてくれない」で止まっていると、
自分は「配偶者が何かをしてくれるまで待つ」というスタンスになってしまいます。
人のせいにするとその人を非難して「自分」は何もしなくなるのですね。
責任を配偶者に押し付けていますから、自分がなにか行動する義務はない、と考えてしまうわけだね。
ところが原因自分論ではどうでしょう。
原因自分論の中ですでに解決のヒントを自分で「認識」できています。
「自分が配偶者に言わなかった」わけですから、「言えばいい」のですね。
もちろんそこにはいくつかの障壁があるでしょう。
「配偶者が時間を取ってくれない」「そもそも話を聞いてくれない」「自分に責任を押し付けてくる」などです。
もしかしたら、輪をかけて義理の祖父母があなたを責めるかもしれません。
「教育はお母さんの仕事」などと前時代的な発言で。
しかし、それでも「自分は課題がわかっている。自分もやるから、配偶者にも協力してほしい」という解決への道のりは見えています。
たとえ、最悪配偶者からも祖父母からも協力してもらえなくても、あなたは「変わること」ができます。
周囲の誰かが行動や変化を起こしたときに子どもは変化するのです。
周囲が変わらずに子どもだけに「変われ」と要求することは無理な話だよね。
他のパターンについても解決への行動の例を挙げておきますので、参考にしてください。
原因他人論 | 祖父母が過保護 |
原因自分論 | 自分の教育方針をきちんと祖父母にきちんと話しをしなかった。 |
解決への行動 | これを機会に祖父母に過保護な行動をやめてもらうように頼もう。突然そんなことを言えば怒りを買うから、まずは現状についての報告から祖父母と話をして、力になってもらえることを話し合おう。できれば、カウンセラーとの話に一緒に話に入ってもらおう。配偶者にもそう言ってくれるように頼もう。 |
原因他人論 | 先生が優秀でない |
原因自分論 | 優秀な先生など滅多に当たらない。 「優秀」は人によって評価が違う。 子どもの人生は先生に左右される必然性はない。 大事な点は、先生ではなく自分が子どもに伝えるべき。 そもそも学校にすべてを頼るのは間違いだった。 |
解決への行動 | 先生のことはたてなければならないし、これからも協力してもらう必要がある。子どもも先生のことを嫌ってはいない。では、先生といっしょに再登校に向けてチームを組もう。 |
「自分」に原因があるから、「自分」は行動できます。必ずなにかできるのです。
原因他人論 | いじめが原因 |
原因自分論 | いじめに気づくことができなかった。 いじめにあったら、親に伝えるように言わなかった。 様子がおかしいときに声をかけることを躊躇してしまった。 |
解決への行動 | そもそもいじめに近いことは子どもの社会ではいつでも起きる可能性がある。そして、そのときは普通はいじめではなく、「おふざけ」に近いものだ。子どもにその事を話して最初の様子をもう一度聞こう。すると、子どももいじめられているのではないということに気づくかもしれない。 |
原因他人論 | 部活動が厳しすぎる |
原因自分論 | その部活動を選んだのは、子どもであり、自分もその部活動でよいと許可を出した。 |
解決への行動 | 場合によっては休むことを勧めることも考えなければならなかった。 また、顧問の先生に配慮を頼むことも選択肢としてはあったはずだった。登校することができたらやってみよう。 |
原因他人論 | 授業のスピードが速すぎる |
原因自分論 | それを補うための家庭学習を身に付けさせることができなかった。 塾や家庭教師の対策を打たなかった。 なにより、子ども本人としっかり話をしてこなかった。 |
解決への行動 | 子どもと話をして小学校の基礎からマンツーマンで教えてくれる家庭教師、塾、などを考えてみよう。自分たちも家計を見直してその費用を捻出しよう。 |
「家庭教師のトライ」など がある
ところで、配偶者や祖父母などの家族から協力をもらえない場合、どうしたら良いのでしょうか。
このサイトでは不登校の状態を改善するために「速やかに他人を頼る」ことを勧めています。
(不登校かも その時親の対応は 慌てずに対応ためのポイント9つ 参照)
学校の先生をはじめ、カウンセラー、地域の相談施設、無料の電話相談、探せばたくさんあります。
しかし
- カウンセラーは大げさすぎるし、良いカウンセラーがどこにいるのかもわからない。
- 学校の先生も良くしてくれるが、自分の子供だけにかかりきりにはなってくれない。
- 勉強もどんどん遅れていくのが心配
このような悩みの解決法の一つとして有力な選択肢が家庭教師です。
なぜなら、家庭教師のトライをはじめとした家庭教師派遣会社には「不登校サポート」の家庭教師がたくさんいるからです。
「自分の子どもの面倒を「職業」として見てくれる人」がいるということは、大変心強いことですね。
発達障害の方を積極的に引き受けてくれる家庭教師派遣会社もありますね。
日本には自分の子供のことを、自分の家庭内の問題を、他人に面倒見てもらう、ということがタブー視される傾向があります。
しかし、それは間違っています。
子どもと親の悩みや問題を手伝ってくれる「外部の力」の選択肢は豊富にあります。
また、それに頼らなければ子育てはできない社会になっています。
情報化社会、社会の価値観の多様化で「使えるようになった選択肢」はどんどん活用すべきです。
不登校の「間違った」原因自分論
原因自分論を強調してきましたが、「間違った原因自分論」になってしまってはいけません。
不登校の子どもさんを抱えている親でいえば「間違った原因自分論」とは
- 自分さえ我慢すれば
- 自分がもっと頑張れば
- 自分が守ってやらないと
- 自分の言動が間違っていた
です。
「ある程度」は必要な考え方ですが、すべてこの方向で突き詰めてしまうと何も解決しません。
解決しないばかりか自分がどんどん苦しくなっていき、最悪の場合には家庭内暴力などに発展してしまう可能性があります。
「自分が我慢する」
ということと
「子どもの代わりにやってあげる」
ということが同じになってしまう親がいるのです。
これはいわゆる過保護・過干渉と呼ばれるもので、言葉から分かる通り、良い結果にはなりません。
詳しくは別記事で紹介しますが、(準備中です)
それぞれ次のようになってしまうのです。
「自分が我慢すれば」の状態
我慢していることを他の人がわかってくれることはほとんどありません。わかってくれないのに、自分だけが我慢していると辛くなるだけです。
「自分がもっと頑張れば」の状態
自分にますます負担がかかるだけです。他の人はあなたに甘えてしまいます。
「自分が守ってやらないと」の状態
守りすぎると、過保護、過干渉になります。子どもの成長する機会を奪ってしまうのです。
ではどうしたら良いのでしょうか。
具体的な例を挙げて説明します。
不登校の「正しい」原因自分論と 解決への行動
具体的な「間違った原因自分論」はたとえば
- 「自分」の育て方が悪かった
- 「自分」は不登校の初期のときに間違った声がけをした
- いじめられたときに「自分が」とった対応がまずかった
- 部活動が厳しかったが、「我慢しろと」自分が言ってしまった。
- 子どもは学校に行ってないが、自分が我慢して周囲に言い訳をして子どもを守ってやる必要がある
- 周囲の人はだれも協力をしてくれないので、自分だけが頑張ることが大事
などが挙げられます。
それを正しい原因自分論と、解決への行動にしてみます。参考になれば幸いです。
間違った原因自分論 | 「自分」の育て方が悪かった |
正しい原因自分論 | 確かに悪かったところはあるが、決定的なものではない。 私だけが子どもに関わったのではなく、家族や学校も関わっている。 |
解決への行動 | 私の悪かったところは 過保護気味 だったところだからそれは今から直すようにしよう。家族にも協力をお願いしよう。 |
間違った原因自分論 | 「自分」は不登校の初期のときに間違った声がけをした |
正しい原因自分論 | あのときは一生懸命考えて声がけをした。 たしかに忙しかったし、自分も動揺してしまったので、間違った声がけだったかもしれない。 |
解決への行動 | それに関してはもう一度子どもに尋ねてみよう。 あのときの言葉で傷ついたか? お父さんの言葉をあなたはどう感じましたか? と。そして今からどのような言葉を使えばよいか勉強しよう。 |
正しい原因自分論ではいったん自分の落ち度を認めますが、「まだ取り返しがつく」、「決定的なあやまちではない」と考えます。
そのあと「どうやってフォローするか」、「これからできることは何か」と対策を考えます。
間違った原因自分論 | いじめられたときに「自分が」とった対応がまずかった。 |
正しい原因自分論 | いじめられていると知ったときには怒りを優先してしまい、感情的になってしまった。 |
解決への行動 | それは子どもが可愛いからである。いじめた人を許せなかったからである。 しかしたしかに先生やいじめた生徒に強く言いすぎてしまったかもしれない。 今度学校に行って先生ともう一度話をしよう。 できればいじめた生徒とも。 それを実行していいか、自分の子どもとも話をしよう。 別パターン 相手のことを考えすぎて、自分が怒るのはみっともないと思って強く言えなかった。 それで相手をつけあがらせてしまった。自分の子どもも頼りない父親だと思ったかもしれない。 もう一度自分の子どもとそのことで話し合いをしよう。 |
間違った原因自分論 | 部活動が厳しかったが、「我慢しろと」自分が言ってしまった。 |
正しい原因自分論 | 部活動ではある程度我慢するのは当たり前。あのときは我慢するべきだと思った。 |
解決への行動 | あとから考えれば、子どもは限界に来ていたのかもしれない。 それを今理解することが必要だ。 |
間違った原因自分論 | 子どもは学校に行ってないが、自分が我慢して周囲に言い訳をして子どもを守ってやる必要がある |
正しい原因自分論 | 子どもの不登校は親の課題でもあるが、大部分は子どもの課題である。 |
解決への行動 | 課題を分けて考えよう。そして自分の悩みも子どもの悩みもきちんとした形で、誰かに、どこかに、相談しよう。 自分が守ってやることは必要だが、過保護になる必要はない。 現状を変化させるための行動を今起こすべきだ。 |
間違った原因自分論 | 周囲の人はだれも協力をしてくれないので、自分だけが頑張ることが大事。 |
正しい原因自分論 | パートナーをはじめ家族、学校の先生も友達もきっと心配してくれている。 |
解決への行動 | 自分の頑張りは必要。しかし、自分だけが頑張る必要はない。 チーム力で乗り切ろう。 |
我が家の場合
コロナ明けにサイト管理者の娘が不登校になりました。その時の我が家の対応を紹介します。
- 同居している父方の祖母にはすぐに現状を報告。
- わかる限りでの原因 再登校に向けて今やっていることを報告。とりあえず静観してほしいことをお願いした。
- 「行きたくない」と言ったとき「原因」を考えた。
- もともと自閉気質が強い。人との対話が苦手だった。
- 父もストレスから2ヶ月の休職を経験したことがある。
- 妻も小学生で不登校を経験した。
- 「妻が悪い」「夫が悪い」「遺伝」などと言わなかった。 「自閉気質が強い」と「対策」につながる「分析」をした。
- YouTubeやゲームのやり過ぎについて
- 父がスマホやタブレットを簡単に与えすぎた。 ネット環境も揃えすぎた という反省はしたし、妻からも責められたことはあった。しかし、子供の前で責めることはしなかったし、何回もしつこく言うようなこともなかった。
- 外に出る機会が極端になかったことについて
- 両親ともに反省した。 「コロナだったからな」とは言ったが、野外に出かけるなどの対策を打った。
- 役割分担をした
- 父母で話し合いをして対策を立てた。 すぐに役割分担をした。
- どちらかだけが動いたり、極度に頑張りすぎたりしなかった。
- しかし、止められる仕事はすべて止めて一旦娘に全力を注いだ。
- 速やかに担任の先生を頼った
- 娘の新しい先生のことを息子がよく知っていて「良い先生だ」という情報をくれたのは大きかった。 娘も頼ってみようという考えになった。
- 欠席の第一報は妻が入れた その後の娘への聞き取りは状況をみて、両方からアプローチ
- 父は同時に担任の先生に再度連絡。聞き取りをした現状での進捗状況を伝えた。
- 担任からはいつでも力になるから、との言葉をいただいた。
- 担任の先生からの対策は
- 登校できなかったら、すぐに家庭訪問。
- なんとか登校できたら、朝のうちすぐに担任の先生から話しかけてもらうことにした。
- 結果、学校に行って担任の先生からに話を聞いてもらって再登校できた。
簡単に書きましたが、もちろんここに書いてあるほど事がスイスイ運んだわけではありません。時間もかかりました。
私達親にとっても精神的負担のかかる重労働でした。
しかし「ここで私達が踏ん張らなければ、誰も何もしてれない」という、当たり前ですが現実的な危機感を持っていました。
私達は教員ですから、十分すぎるほどその事実を知っていたのです。
ですから、有給を取ったり、自分たちの知識を総動員したりして娘のために行動しました。そして、たまたまうまくいったのです。
アドラー心理学「課題の分離」
自分原因論という考え方はアドラー心理学の「課題の分離」とよく似ています。
アドラー心理学における「課題の分離」について、簡単に5つのポイントを挙げると次のようになります。
- 自分のことは自分でやる。人のことは人にまかせる。
- 人のことを心配しすぎないで、自分のことに集中する。
- 人のせいにしないで、自分でできることを考えよう
- 人に頼りすぎず、自分で決めたことは自分で責任を持とう
- 人の問題を解決しようとしすぎず、応援する気持ちを持つ。
これを不登校、家族関係で例を挙げると次のようになります。
- 自分のことは自分でやる。人のことは人にまかせる。
- 子どもの宿題を親が代理ですることはしない。手伝ったり、解き方を教えることはあっても。
- 人のことを心配しすぎないで、自分のことに集中する。
- 子どもの心配を過度にせず、家をきれいにしたり、庭をきれいにしたり、家族サービスを企画したり、家族のコミュニケーションをとるための話題を考えたり、家族が心穏やかに気持ちよく過ごせる家庭を作る。
- 人のせいにしないで、自分でできることを考えよう
- 「子どもが不登校になったのは妻の育て方が悪かった」「祖父母が甘やかしたからだ」「学校がきちんと対処してくれなかったからだ」などと考えない。
- 「今から何をすべきか、妻と対応を話し合おう」「子どもとの接し方を祖父母にきちんと頼もう」「学校に行って何が起きていたのか詳しい話を聞こう」
- 人に頼りすぎず、自分で決めたことは自分で責任を持とう
- 担任の先生に相談して、家庭訪問してもらったり、学校での不登校の原因になるようなことをなくなるようにしてもらったりした。
- しかし、それで不登校が解決するとは限らない。不登校を解決するには子どもの様子をしっかり見て、エネルギーを補充し続けよう。自分の子供は最終的に親が責任を持つのだ。
- 人の問題を解決しようとしすぎず、応援する気持ちを持つ。
- 不登校は究極的には「子ども自身の課題」であり、「子どもが自分の責任で解決すべきもの」。
- 子どもが解決の方向を探り、子ども自身が解決したいと思うことが大事。そのための応援やエネルギー、勇気、簡単な手助けを与え続けよう。
アドラー心理学は比較的平易な言葉で説明されるわかりやすい心理学です。
一時期大流行しましたから、優れた本がたくさん発行されています。
興味のある方は買って勉強されることをお勧めします。
親の責任だと悩まず、原因自分論で前に進もう
繰り返しますが、不登校は親の責任ではありません。
しかし、だからといって他人の責任でもありません。
そもそも「責任」という言葉を使って考えること自体がおかしいのです。
子どもの不登校に責任を取ってくれる人などいません。
それなのに、責任を求め続ければ、子どもは追い詰められます。
なぜなら、「責任」という言葉を無理やり使えば、責任を追うべき人間は究極的には「子ども自信」だからです。
「不登校は子どもの課題」で課題を持っている人が責任をとるんですね。
会社で仕事という課題をしなかったら、給料がもらえない。それと同じことです。
学校に行かなかったら、「子ども自身が」行っていたときに得られるべき学びや喜びを味わうことができないのです。
ですから、不登校の責任を追求することはやめて、正しい原因自分論で「子ども」「親」「家族」「学校」がそれぞれの原因を「認識」し、「これから自分ができること」「解決への行動」を起こすべきなのです。
不登校の当事者は「子ども自身」で、それ以外の周囲の人たちはアドバイザーであり、メンターであり、大応援団です。
その人達が「チーム」となって、あたかも会社のプロジェクトのように役割分担をして不登校を克服できるように動くことが大事になります。
不登校は「苦しんでまで克服するものではない」
不登校を克服するときに、大きな苦しみが伴うのならば、そこまでして克服する必要があるとは思えません。
「学校」という場所にそれだけの価値があるとはもはや思えないのです。
ただし、誤解しないでいただきたいのは
「学校にもどこにも行かず、気楽に過ごせ。」
と言っているのではありません。
子どもが成長するためには、何らかの形での外部との接触が必要であり、成長を促す課題が必要です。
その役割は学校しかない、と多くの人が長年信じてきましたが、現代は「学校の代わり」がたくさんある、と言いたいのです。
このサイトで紹介しているトライ式などのフリースクールが良い例です。
場合によってはフリースクルに行く、という決断そのものもハードルが高いでしょう。
しかし、大切なことは「子どもが成長できる」「子どもを受け入れてくれる人、場所」を求めて親も子どもも行動するということです。
「不登校を解決する」とは「学校に行くこと」だけではないのです。
学校の学びとフリースクールの学びは質が違うかもしれません。
しかし、どちらがその子どもにとって良い学びなのかは誰も判断できません。
判断できるとすれば、それができるのは子どもだけです。
「学校にいかなくてはならない」という縛りはもはや過去のものといっていいのです。
実際、オリンピックに出場しているような選手の中には通信制高校の生徒が多数いることは有名な事実です。
そして、もう一つ大切な親の仕事は
「成長の機会を与え続ける」ことです。
獅子は我が子を崖から突き落とす
という極端なことをする必要はありませんが、
「ちょっとした丘の上に連れて行って、笑いながら一緒に駆け下りる。
そして、次は一人でやらせる」くらいはするべきでしょう。
子どもは多様化していますが、社会も多様化して、合致する社会は必ずどこかにあります。
その意味では、まずは親が視野を広く持って社会を見つめましょう。
きっと何らかの突破口が見つかります。
まとめ
- 不登校は親の責任ではない。
- そもそも「責任」という考え方はしない方が良い。
- 原因他人論とは自分以外の人に原因を求めること。
- 原因他人論は使わないようにする。
- 原因自分論とは「すべての物事が起こった原因は自分にある」と考えること。
- 原因自分論を使うと、解決方法が見えてくる。間違った努力をしなくてもよくなる。
- 間違った原因自分論「私が我慢すれば」「私が努力すれば」「私の育て方が悪かった」などに陥らないようにする。
- 間違った原因自分論を使うと、自分だけが追い詰められて、身動きができなくなる。
- 正しい原因自分論を用いてチームで不登校を解決するようにする。
- 原因自分論はアドラー心理学の「課題の分離」と同じ考え方。
- 不登校の解決とは学校に行くことだけではない。まずは親が視野を広く持って社会を見つめよう。